牧師のひとり言の目次
人まかせ
神戸の事件が起こってからテレビでも新聞でもいろいろと議論されています。その中で、特に一般の庶民の意見で気になる言葉があります。それは、誰々にこれこれしてもらわねば、といった言葉です。政府に、役所に、学校にもっと考えてもらわねば、ちゃんとやってもらわねばといった意見です。
何か問題が起こると、あいつらが悪いからだと文句は言っても、ではそれをどうすればいいのかなんてことはあまり考えません。それは誰かが考え、誰かがやることだ、と思っています。
自分で考えるようにとは教えられませんでした。余計なことは考えるな、いらんことを考える暇があったら勉強しろ、と言われてきました。言われた通りにすることを誉められました。自分の意見なんてのを持たないことが一番都合のいいことでした。そうすれば摩擦も起きません。自分の気持ちを抑える癖がついてしまい、自分で考えることもなくなってきました。だから急に自分で考えろ、お前の意見はと言われても困ってしまいます。
何も考えないで誰かの言う通りにしてた方が楽かもしれません。ただ流れに任せて周りと同じようにしていくのも一つの方法かもしれません。衣食住だって決まった通りにするのが楽なような気もします。しかしそれではいったい誰の人生なのでしょうか。私の人生は私が考えた通りに生きるべきでしょう。
この社会もどうすればいいのかを自分が考えなければ、それは誰かの社会にお邪魔しているだけになってしまいます。
教会も同じです。私たちは誰かの教会にお邪魔しているのではありません。ここは私たちの教会なのです。