牧師のひとり言の目次 

 大昔から争いがあった。最初は小さな争いだったのだろう。やがて少しずつ大きくなり、藩と藩との争いとなり、いつしか国と国との戦争になっていった。やがて地球を二分するような戦いが起こるのだろうか。
 そこにはいつも敵がいる。敵がいることで味方が結束するという面もあるのかもしれない。遠くの大きな敵に対抗するためにこちらも味方を増やしまとまってきた。しかし地球上には新たな敵を見つけることはできなくなった。地球全体がまとまるためには異星人と戦うしかないのだろうか。
 歴史上戦いの無い時代はないようだ。いつもどこかで戦いがある。それは戦いが人間につきものだからだろうか。人間が戦うために生まれてきたためなのか。それとも戦うことの好きな者が指導者になってきたためだろうか。戦う者にとって無くてならないものは敵だ。
 世の中は甘くはない、おかしな連中が攻めてきたらどうするのかという声が聞こえてくる。そのためにどうすればいいのか。自分を守るために、どこにも負けない力をつけるのも一つの方法だ。
 しかしアメリカでは護身用の銃のために多くの命が犠牲になっていると聞く。8年前、天安門では多くの民が自分の国の軍隊によって殺された。沖縄では日本の軍人と共に洞窟に逃げ込んだ人たちはほとんどが自殺し、民間人だけの洞窟ではみんな助かったところもあったそうだ。
 イエスは言った、「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」
 私たちは人に負けないように生きているのだろうか、それとも人を愛するように生きているのだろうか。