牧師のひとり言の目次 

付き物

 動燃がうそをついたと盛んに報じられています。こればかりではなく、自分のミスを何とか隠したいとか、自分のいやな過去や弱点を何とか認めないようにしたいという思いが誰にもきっとあります。先の戦争についても自分の非を認めようとしない風潮もあります。向こうだってこんなことをした、というのが決まり文句です。
 自分の間違いを認めることはとても勇気のいることです。小さい頃から失敗しないこと間違わないことが何よりも大事だと教えられ、間違わないことを目指して生きてきた人にとってはなおさらです。その人にとっては自分の間違いを認めるということは自分の存在を否定することと同じようなものかもしれません。
 しかし現実には人間に間違いはつきものです。ミスはつきものです。そうすると間違いのない人間を目指すこと自体に無理があります。そこにうそが出てきて、また自分の非を認めない傲慢が出てきます。
 「正しい者はいない。一人もいない。」と聖書にあります。間違いはつきもの、それが本来の人間の姿だ、と聖書は告げています。罪ある者、それが神から見た人間の姿です。しかしその罪ある人間を、神は愛していると言うのです。
 罪あるものとして、間違いのあるものとしてどう生きるかが問題です。目指すべきは何も間違いを犯さない完全な人間ではなく、間違いを認めることのできる謙虚な人間なのではないでしょうか。