牧師のひとり言の目次 

重い言葉

 本屋で立ち読みしていた時に見た本の中に辞書が載っていました。いろいろな言葉がありましたが、その一つに確かこんなのがありました。
〔【札幌】ラーメン店でラーメンの上につけると売り上げが伸びる魔法の言葉。〕
 なんだかよく解からないけれど、解かったつもりでお互いに使っている言葉があります。それさえ言っておけば誰からもとやかく言われず、なんとなくまるくおさまってしまう言葉もあります。相手をひれ伏させ、口答えできなくさせてしまう、所謂立派な言葉もあります。そしてそういう魔法の言葉をつい使ってしまいます。
 多分言葉にも重いのと軽いのがあります。どんなにきれいでかっこよく立派な言葉でも、それが単なる誰かの受け売りで、自分の言葉でないならばそれは軽い言葉でしょう。どんなにつたなくありきたりでも、それがその人自身から出ているならばそれは重い言葉でしょう。同じ言葉にも軽いのと重いのがあります。人の心を揺り動かすのは重い言葉のようです。
 さてどれほどの言葉を語っているのでしょうか。聖書はそうとう重い言葉のようです。
「言は神であった。」(ヨハネによる福音書1章)