牧師のひとり言の目次 

 聖書の中には愛という言葉がたくさん出てきます。そして教会の中でも外でも愛という言葉をよく聞きます。ずいぶんと手垢が付いたしまったという気もします。
 テレビのドラマでの愛と、聖書の言う愛とは随分と違います。世間では愛しているとは、ほとんど夫婦か恋人の関係での言葉になってしまっています。しかし聖書の愛とはそのようなものではないようです。聖書の言う愛とは単なる好きという感情ではありません。ヨハネの福音書には「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(15:13)というイエスの言葉があります。
 愛とは相手のために何かを捨てることなのかもしれません。相手のために自分の大事なものをも捨てる、それが聖書の言う愛のようです。時間、能力、財産、名声、・・・それを捨てることこそが愛なのかもしれません。
 相手のために自分を捨てる、それがイエスの生き方でもありました。そのようにして私たちは愛されています。イエスは自分が愛することで愛の種を私たちに植え付けたのかもしれません。
 なかなか芽が出てきません。こんなに愛してやっているのに、と思うことの多いこのごろです。でもきっとこれは聖書の愛ではありません。