牧師のひとり言の目次 

共 に

 喜びは分けると二倍になり、悲しみは分けると半分になる、ということを言います。自分が当事者である場合はその通りだと思います。喜んでいるときにはその喜びをみんなにも分けてあげたいと思い、悲しんでいるときにはその悲しみを誰かに分かち合って欲しいと思います。
 ところがそれが他の人のこととなるとなかなかそう思えません。誰かが喜んでいるとなんであいつだけいい思いをするのかとひがみ、誰かが悲しんでいても自分とは関係のないことだ、これはあの人の問題だと思って知らん顔をしています。
 誰かがとても大変な思いをしていても、その大変さを解ろうとはしません。それは解りたくないという気持ちがあるからかもしれません。知らん顔をしていたいという気持ちがあるからかもしれません。どこまでも関わっていられない、どこまでも関わりたくはないという気持ちがあるのかもしれません。
 「共に」、それはしんどいことです。こちらもしんどいことをすることが「共に」ということでしょう。適当に慰めの言葉を語り、自分が痛くない程にいい顔をしているのが一番楽です。だから「共に」は自然にできることではないと思います。「共に」は多分決意の言葉です。