牧師のひとり言の目次
価 値
先日、今年初めて松茸が出荷されたというニュースがありました。5本で16万円だったでしょうか。本当にその松茸にそれだけの価値はあるのか、とあまり松茸と縁のない私はひがんでいます。
ところで人間の価値はどういうことで決まるのでしょうか。どういう人が生きる価値のある人なのでしょうか。
ある人が車椅子で散歩した時に階段の下で困っていると、近くにいた不良っぽいお兄ちゃんたちが上まで持ち上げてくれたそうです。その時その車椅子の人は、彼らの心に一瞬でもすがすがしい風を吹かせることが出来たとすれば私は生きている価値があった、と思ったそうです。
なにかが出来ることが人間の価値だと思うことがあります。誰にもできないことが出来る人はすばらしいと思います。しかし人間は何かが出来るからというよりも、そこにいるということ自体に価値があるように思います。赤ん坊は何も出来ず、何もかも他の人の世話にならないと生きていきません。しかし赤ん坊に生きる価値がないと思う人はいないでしょう。きっとここに生きている、神に生かされているということに価値があるのです。そこにいるということ自体に価値がある、そこに存在していること自体に価値があります。
だから礼拝の場にいることは、それだけで充分すばらしいことです。しかも聖書には、神は「世の無に等しい者」を選ばれた、と書かれています。神に選ばれた、これほど大きな価値はありません。