牧師のひとり言の目次 

8 月

 8月は小さい頃から私にとって特別の月です。自分の生まれた月であり、大好きな夏であり、何と言っても輝かしい夏休みでした。
 そして気がつけば、8月は先の戦争の終わった月であり、広島に来てからは原爆の月ともなりました。
 楽しいだけの8月がだんだんと重苦しい月となってきました。スミソニアンの原爆展ではあれほど大騒ぎしたのに、長崎の原爆資料館の件であまり騒がないのはどうしてなのか、また「核兵器反対」という言葉を聞きながら、どうして「兵器反対」ではないのだろうか、と悩んでいます。
 先日テレビに韓国か台湾の、日本が占領していた時の写真が出ていました。同じ日に、今年どこかの町で夏に成人式が行われたというニュースが流れました。どちらにも正面に日の丸がありました。
 広島に来て意外だったことのひとつが、日の丸をたびたび見かけるようになったことです。被爆地だからこそ戦争反対、兵器反対、日の丸反対、と思っていました。しかしこれは全部思い違いだったのかもしれません。祝日の中国新聞に日の丸が載っていたのはちょっとショックでした。
 あの戦争は何だったのか、戦争から何を学んだのか、広島に来て8月は悩みの月となりつつあります。