牧師のひとり言の目次 

感 動

 新聞にある母親のこんな投書が載っていました。
家族で旅行をしたときのことです。子どもには小さいときからいいものを見せ感動させたいと思い、その旅行でもいろいろないいものを見せて歩いたそうです。でもその時子どもはどうでもいいような顔をしていたそうです。結局その旅行で子どもにとって一番うれしかったのは次の日の朝食のバイキング料理に出ていたソーセージだったそうです。
 せっかくここまで来てなんでソーセージなんだ、と計算高い大人は思ってしまいます。しかし感動を強制することはできません。自分の感動ならば伝えることはできるかもしれません。でも自分と同じものに相手が感動するかどうか分かりません。まして自分が感動もしていないのに、相手を感動させようなんてのは無理な注文です。まずは自分自身が感動しているかどうかが問題です。
 イエスの弟子たちを動かしていたものもきっと感動です。聖書は神に感動させられた人たちの物語でもあります。その感動が神の言葉とともにここまで伝わって来ています。