牧師のひとり言の目次 

復 活

 イエスさまは私たちの身代わりに死んでくださった、ということは私たちは本当は死んでしかるべきであったわけです。死刑に処せられるべきであったということです。
 しかし本心ではなかなかそうは思えないとこうがあります。もちろん人間はいつかは死ぬわけですが、もし自分の罪を全部背負わねばならないとしたら、私たちの死に様は神から捨てられ、神との関係は絶たれ、全くひとりほっちということになります。経験したことのない死というものに対する恐怖に加え、孤独という恐怖とも闘わねばなりません。
 「神よ、どうして私を見捨てたのか」というイエスさまの十字架上での言葉は、人間にとってもっとも根元的な悲鳴のように思います。
 神から与えられた命を神なしには生きることは出来ないということでしよう。神とのつながりなしに生きることほど不安定なことはないということです。根無し草にさせないためにイエスは私たちを捕まえにきたのです。