牧師のひとり言の目次 

沈 黙

 住専とか薬害エイズとかTBSとかいろいろと世問をにぎわす問題が発覚しています。問題の矢面に立たされている人たちは大変です。きびしい質問も飛んできます。しかし中には問題をどう誤魔化すか、どうはぐらかすかに懸命の人たちもいるようです。そしてそういう人たちはだいたい雄弁です。
 こうだったから、ああだったからこうなってしまったのだ、と多くの言葉で説明しています。しかし様々な言葉によって何とか自分を守ううとしているように聞こえます。その多くの言葉の中には自分が悪かったという言葉はほとんど出てきません。自分を守るためには雄弁にならざるを得ないのかもしれません。
 責任を負いたくない、あるいはとても負いきれないと感じたとき人は雄弁になります。しかしその結果問題はさらに深刻になります。
 沈黙することは大変につらいときがあります。しかし沈黙の中に解決の道が見えてきます。
 沈黙こそ自分と真っ正面に向き合うときです。またそこに神の言葉が聞こえてきます。