牧師のひとり言の目次 

神はどこに?

 小さい頃は神さまがいて、不思議な夢をかなえてくれた・・・こともあったかな。
 神さまってのは不思議な夢をかなえてくれる、かもしれない存在だった。困ったときや苦しいときに現れて奇跡を起こしてくれる、かもしれないものだった。初詣に行っても一応祈るようなかっこうはするけれど何を祈ればいいのやら。家内安全だの学業何とかだのと言うのは宣伝文句ではあっても、とても自分の祈りにはならなかった。
 神社の主は一体何なのかと一番奥まで見に行くとそこには鏡のような丸いものがあっただけだった。正月と祭りの時にだけ会いに行く得体の知れないものが僕の神さんだった。僕の神さんはいてもいなくても別に何の支障もない存在だった。
 そして教会へ行くようになって僕は神さんに代わって神さまを見つけた。天と地を創造したなんていうでかい神さまだ。どれほどでかいのか想像も出来ない。でかすぎてどこにいるのかわからなくなる。自分とは離れたところにいて、これがそうだといわれたならばすくわかる。とこうがそうではないらしい。
 「我らは神の中に生き、動き、存在する」(使徒17:28)。「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ2:20)。やっぱり神さんとは違うのだ。