牧師のひとり言の目次 

普通の人間

 連盟や連合の集会にも出るようになり、いろいろな教会人に出会うようになってから思ったことがあります。特に牧師に対してですが、なんだ普通のおじさんじやないか、ということです。肩まで届きそうな髪をした牧師に衝撃を受け、まるでかっこよくない牧師に失望したものです。そんな牧師を見てると、なんだかさえないなあなんて思ったものです。もっと凛々しくかっこよく、とまではいかなくてもどこか普通の人とは違うものを持っているのではないかという漠然とした牧師像はもろくも崩れ去りました。しかし、そもそもそんな牧師像がどうやってできあがってしまったのでしょうか。それは教会に行く前から持っていたイメージなのかもしれないと思います。新来者が礼拝が終わった後に若い牧師の前を通り過ぎて、スーツとネクタイがさまになっている年輩の教会員のところに挨拶に行く、なんてことをよく聞きます。
 でも最近は牧師こそ、普通のおじさんやおばさんで良いのだと思うようになりました。悩んだり苦しんだり嘆いたりして、苦闘して生きているものこそ牧師であるべきではないか、教会員であるべきではないかと思います。何の悩みも苦しみも罪もない人間が牧師であってはいけないし、またそんな振りをする必要もないと思うようになりました。
 最近の学校のいじめや不登校の問題の一つには、教師がみんな学生時代にできのいいやつばかりだからなのではないか、と一人で思っています。