牧師のひとり言の目次 

信じられん

 「あなたは神を信じますか?」なんていう言い方を時々聞きます。なぜだか決まって外国人の言い方になっています。突然聞かれたら即座には答えにく質問です。教会員なんだから信じているに決まっている、のかもしれません。テストの答えとしてならば信じているの方に丸をつけるでしょう。しかし、では現実の生活は、などと考え出すと悩んでしまいます。いわゆる敬虔なクリスチャンではない自分のことを考えてしまいます。信じている、ときっぱりと言い切れないものも持っています。
 信じ切ることができればどんなにいいでしょうか。何の疑いもなく信じることができれば、何の不安も恐れもなく過ごすことができるのかもしれません。それこそが本当のクリスチヤンなのかもしれませんが、そういわれてしまうと自分はなんとだめな人間なんだろうと思ってしまいます。
 しかし私の中には「信じられん」という思いもあります。「信じている」という思いと「信じられん」という思いの両方があります。「信じられん」思いを捨てることは出来そうにもありません。それも一つの弱さなのかもしれません。弱さを持ち続けることはしんどいことでもあります。
 弟子たちは何度も「信じられん」と言ってきた人たちでした。彼らも信じられん思いを持ち続けていた人だったようです。しかし、そこに神は教会を建てていきました。